この余部鉄橋を世に知らしめたのが、山陰本線の脱線転落事故でした。昭和61年(1986)12月28日、香住駅より浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が日本海からの突風にあおられ、橋梁の中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が下の集落へと転落したのです。その転落した客車は鉄橋の真下にあった水産加工工場を直撃。従業員だった主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名が死亡、同工場の従業員5名と客車内にいた日本食堂の車内販売従業員1名が重傷を追った悲惨な事故でした。現在、橋脚の下にはその事故の慰霊碑が立っています。
現在も、天候が悪い日には度々ダイヤは遅れ、運行に支障をきたしている為、自治体が建設費の8割を負担する事で、横風にも強い新しい橋に掛け替える事になったのです。新橋はエクストラドーズド橋と呼ばれるコンクリート製で、4基の橋脚で橋桁を支え、斜張橋のような高架橋になるとか。
今回はやたらと動き回らず、ただひたすら橋梁ごしに日本海を眺めていた。しかしいよいよ、餘部と別れる時間が来た。ホームは来るとき一緒に乗ってきた乗客と、おそらく昨日から下の民宿に泊まったであろう観光客で溢れていた。やがて汽笛と共に森を抜けて入線してくるキハ47系。そしてそれを撮るために望遠レンズを構える。
シャッターを切っている間に、あっという間に列車は目の前を通り過ぎて行く。ちなみにこの2両編成のキハ47系は、大幅に改修された1両の窓が今風の固定式になっており、なぜか残る1両が従来の上下分割式の可動窓なのである。来るときは後ろ側の車両だったが、今回は先頭車両を確保しんくてはならないのだ。車内には、そこそこ人が乗っており、ボックスシートは全て埋まっていた。かろうじて車端部のロングシートを押さえ、急いで窓をあけ、カメラを構え、列車の出発を待った。
8:27列車はゆっくりと餘部駅を出発し、鉄橋を加速しながら渡っていく。シャッターを切っている内にトンネルに入ってしまった。わずか30分ほどの滞在だったが、非常に別れ惜しく、かつ満足のいった旅であった。
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