さて、小浜線への乗り継ぎは34分ほどある。敦賀もまた何度か訪れているので、駅周辺に見るべきものが無いのは知っていたから、駅構内と駅前をぶらぶらした。
小浜線は変わった路線でもある。特急も走らないローカル線ながら、2003年に全線電化され、新型車両が投入された。これには非公式ながら電力会社が関与している。若狭湾は原発銀座と揶揄されるがゆえに、鉄道がディーゼル車なのはいかに?という事なのか、電力会社による「匿名の寄付」と、地元自治体の積立した資金を利用し、全額地元負担で電化されたらしい。ただし初期費用を抑えるため、変電所の数を通常よりも少なくした事から、加速度や最高速度が制限され、125系の本領が発揮されない状況とか。路線距離84.3km、駅数は24駅ある。北陸本線と山陰本線のバイパス線として計画されたが、今はそれらを直通する列車は無い。
15:50発の小浜線は先ほど乗ったJR西日本の新型125系2両編成(938M)。雨が降ってきた。若狭の風景に美しい潤いをあたえる。水田は青味を増し、山々には山霧が立ち上がる。列車の動きがどうもおかしい。駅で無い場所で止まったり、徐行したり、加速したりの繰り返し。まあ、半分酩酊状態なのであまり感心は無い。
車内放送によるとゲリラ豪雨と落雷の影響で、1時間近い遅れが出ているとの事。もはや、今日中に城崎温泉に辿り着くことは不可能となった。危機意識はあるものの、まだ頭は半分寝ている。
小浜線は回復運転を行ったのか、35分遅れの18:19に東舞鶴駅に着いた。しかし、せっかくの回復運転も接続する列車の臨時運行が無い状態では、まるで意味が無かった。この先、数珠玉式に接続は悪い。
とりあえず、かろうじて本日中に到着できる、豊岡の旅館に電話するがあえなく撃沈。行けるところまで行って考えるしかない。最悪野宿も覚悟した。
18:48発の舞鶴線114系2両編成(350M)に乗って綾部へ。あたりは完全に真っ暗。舞鶴線もまた寂しい路線である。路線距離はわずが26.4kmで駅数は6駅しかない。もともと舞鶴の軍港と山陰本線を結ぶ支線として建設され、戦中、戦後は出征者や引揚者の輸送で賑わったそうだが、それも過去の話である。
江戸時代、伊勢・志摩を支配した水軍から没落した九鬼家2万石の城下町(陣屋町)で、その後繊維産業の町として発展し、現在は「グンゼ産業」の城下町となった綾部駅に19:18到着。ここで、乗り継ぐ山陰本線もまた、ダイヤの乱れで遅れていた。もうどうにもでもなれ、である。
まあ、約10分ほど遅れて221系(1145M)がやってきた。そして京都北部有数の城下町である福知山に辿り着いた。駅周辺にあまりホテルらしきものは見あたらなかったが、少し歩くと小さなビジネスホテルを発見、飛び込みで宿泊することができた。
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