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  三重市場
みえいちば
 豊後・肥後・日向三国を結ぶ交通の要衝・大野郡の中心地として栄えた町
 大分県大野郡三重町大字市場 【豊後大野市三重町市場】2005年合併

 構成:商家・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

大分県南部には山中の「竹田」と水辺の「佐伯」の二つの城下町があり、それらを直線で結んだちょうど中間に大野郡三重町があります。その中心には「市場」という地名が見られます。その名が表すように、三重市場は市場町、宿場町として長い歴史を持っており、古くからこの地域における政治経済の中心地でした。現在も諸官公庁が置かれ、2005年に大野郡5町2村(三重町、清川村、緒方町、朝地町、大野町、千歳村、犬飼町)が合併して誕生した豊後大野市の市役所がこの「市場」に置かれています。

古代律令時代の大野郡域は三重郷と呼ばれ、豊後から日向へ至る往還と肥後へ至る往還の分岐点である現在の市場付近に三重駅が置かれていたと記録があります。
ちなみにこの三重郷にはもう一つ、南へ約12kmほどの場所、現在の野津町小野市付近に「小野駅」が置かれていました。当時1つの郷に2つの駅が置かれた例は他に無く、ゆえにこの地域の重要性を伺い知ることができます。
戦国期頃から三重市と呼ばれ豪商の活躍が見えます。「三重ノ市」は2と7の日に開かれる六斎市で、地元では「みえんいち」と呼ばれていました。江戸時代になると臼杵藩の在町に指定され、酒造も盛んに行われていたそうですが、残念ながら現在は一軒も残されていません。
市場地区は豊肥本線・三重町駅の南側、国道326号線の駅より側に旧道が残され、それに沿って往時の町場は形成されていました。街の規模は大野郡の中心地にふさわしい大きさで往時の繁栄ぶりを偲ばせますが、伝統的な家並み・商家建築は残念ながらほとんど見ることができない状態でした。国道が502号線と宮崎へ通じる326号線の分岐点付近の旧道沿いに、わずかながら平入りや妻入りの商家が残されていました。
それらはいずれも漆喰で塗り込められ、屋根の一部にも本瓦が残り、中には千本格子まで復元修復された町家も見られました。その一方で虫歯のように空き地も目立ちました。
合併で市に昇格し、歴史的にも需要な下地がある中で、豊後郡の中心地として町並みを見直す時期に来ていると思うものの、残念ながら修復すべき原型となる建物そのものが失われており、追い打ちをかけるように過疎化の波も押し寄せる地方の厳しい現状を考えさせられます。