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土日で会津〜新潟鉄道紀行 会津只見線を廻る |
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徐々に寒波が近づきあるようで、山間部は少しずつ雪化粧が厚くなりつつある。前日のライブカメラで会津地方の積雪に確信を得て、明日の旅を心に決めた。 新宿発の「日光1号」は全席指定であり、当日キップを買うことが出来なければ、全ておじゃんである。無謀にもそれ以外のパターンを考えていなかったのだから。それよりも早朝に「みどりの窓口」が開いているのかも重大な問題であった。が、それは新宿駅。さすが1日に300万人以上が乗降する世界最大のターミナル駅である。朝の5:30から営業していた。 新宿駅に6:30に付いて、みどりの窓口を探すのに一苦労である。やっと見つけたら結構並んでいる。 「日光1号」は無事に購入する事ができた。会津鉄道全線を通しで買えるかと思ったが、どうやら相互乗り入れしている東武鉄道管轄の「新藤原駅」までしか買えないとか。 新宿駅6番線ホームには初めて立つ。6:07発の成田空港行き成田エクスプレスが出発したあと、485系国鉄特急車両をリニューアルした精悍な顔つきの、7:31発日光1号はゆっくりと入線してきた。 さてJRの特急が東武線に乗り入れるのだが、それがどういう案配で成されるのかは、ほとんど気に留めていなかった。まあ、どこかで繋がっているのだろうと。そうでもないと車両の甲種輸送はできない。 しばらくして、栗橋で追い抜かれた東武鉄道の6050系快速列車が到着する。この東武快速も日光行きと鬼怒川行きに切り離されるのである。乗客が見守る中、列車の切り離しが終わり、9:11に快速列車は出発する。 東武6050系は車両自体も通勤列車型で、しかも乗車率は確実に150%を越えている。車窓も近郊住宅地を走っているため、結局いつもの東京の日常と変わらない。やがて鬼怒川を越えるといよいよ山が迫ってくる。 遠くに見える山々に雪がないのが気がかりだ。雪が無ければ、わざわざこの時期に来た意味が半減する。眼下にはいつも車で通る国道121号線が見える。かつて会津西街道と呼ばれたこの国道に沿って列車は北上する。 今朝買ったキップは新藤原駅までだが、新藤原駅の手前の鬼怒川温泉駅で降りることにした。9:32鬼怒川温泉に到着。快速列車は先に会津田島に到着するが、ここでリゾート急行の「AIZUマウントエクスプレス」に乗り換えるためである。会津田島へは今乗ってきた快速が先に着くが、先を急ぐわけでないし、なにより満員状態で行くことに絶えられない。急行料金を払っても、リクライニングシートでゆったりと車窓を楽しみたかった。 鬼怒川温泉駅の一番線に2両編成のキハ8500系が止まっていた。出発まで30分近くあり、アイドリングはしていたが、まだ列車に乗り込む事は出来ない。ホームに人影はまだ少ないので、着座は余裕があるだろう。 あいにくフリーキップではないので改札を出ることもできないが、トイレに行きたかったので、駅員に相談して外へ出る事ができた。かつての名温泉街も時代の流れに取り残され閑散とした雰囲気。雪はないものの、さすがに空気は冷たい。ホームで車両を撮影しながら時間を待つ。 |
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新藤原駅から先は昭和61年に開業した第3セクターの野岩鉄道(やがんてつどう)で、東武線との相互乗り入れの為に、会津田島まで全線が直流電化されている。野岩という地名は無いので、旧国名の下野国と岩代国をから取ったものだろう。 11:47発、会津鉄道の1両ワンマンのレールバス、AT300系に乗り込む。列車は会津若松を目指して走り出すが、本日は終点まで行かず、途中の湯野上温泉で宿を取った。 よく晴れた青空で、白い雪に覆われた大内宿の屋根がくっきりと青空に生える。コントラストが強い景色に、収穫は多い。観光客はそれほど多くはなかった。真っ先に定番の展望へ上り、これまた定番の写真を撮影。ここで宿泊もいいなと思いながらも、民宿の人の話では「雪灯篭」の時期なのでどこも満室とか。 |
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