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   青春18キップで廻る 
  信州・北陸・飛騨の旅
 
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 松本から糸魚川に抜けるのが想像以上に大変なこの大糸線は、全線105.4キロの営業区間のうち、松本〜南小谷間の70.1キロがJR東日本で、残りの南小谷〜糸魚川間の35.3キロがJR西日本のなのだ。さらにJR東日本の松本〜南小谷間は電化されているが、南小谷から先のJR西日本区間は非電化のディーゼル車路線だ。これは大糸線の歴史に起因する。それは路線名が松本〜糸魚川なのに「大糸線」なのも関係がある。

 大糸線はもともと、松本近郊エリアの私鉄だったものを、旧国鉄が国有化して糸魚川まで延伸した路線なのだ。その私鉄は大正4年(1915)に営業を始めた信濃鉄道で、松本 - 信濃大町間が開業し電化もされていた。それに接続する形で、信濃大町 - 糸魚川間の延長が国によって計画される。つまり信濃大町と糸魚川で大糸線と命名されたわけだ。建設は信濃大町と糸魚川の両端から、それぞれ大糸南線と大糸北線として進められる。しかし大糸線の建設は地質の問題により困難を極め、さらに冬は豪雪、夏から秋にかけては姫川の氾濫や崩落に悩まされ続けた上に、戦時中には建設が中断され線路や鉄橋までが戦時徴収される始末だった。
 やがて苦難の末、大糸線が全通したのは戦後の昭和57年(1957)になってであった。しかし時は流れて、平成7年(1995)7月、集中豪雨により南小谷〜小滝間が寸断。併走する国道148号線も同様の被害を受け、長野県と日本海を結ぶ動脈の一つが失われる事態となった。先に復旧した国道によって、バスの代行輸送が行われるも、民間企業となったJR西日本と国が、災害復興費用をめぐって対立。結果JR西日本は復興に消極的となり、一部廃線も噂される中、2年半近くを要して復旧したのだった・・・。と、やる気のなさは今での十分に肌で感じる事ができるのだが。
 建設当初は「大糸北線」と「大糸南線」と呼ばれたそうだが、今日現在も大糸線では無く、「大糸西線」と「大糸東線」と分けて呼称してもらいたい。それほど1本の路線ながら、両社のサービスの質が異なるのだ。

 大糸線(325M)は10:27に信濃大町駅を出発。信濃木崎駅から山岳部に入っていく。その先には「仁科三湖」と呼ばれる木崎湖、中綱湖、青木湖が景色を一変させてくれる。そして梁場(やないば)駅を過ぎたあたりで最高地点の標高828.5m、このあたりが分水嶺で、ここから糸魚川まで姫川に沿ってひたすら下っていく。

 やがて、長野県下最大のスキーのメッカで、1998年冬季長野オリンピックが開催された白馬駅へ到着。一瞬開けるが、その後再び山岳地帯へと入っていく。しかし駅のほとんどがスキー場の玄関口で秘境感は無い。もっともオフシーズンには乗降客の無い無人駅なのだが。

  11:24ようやく第1の終点南小谷駅に到着した。旅情は無い点を除けば、静かで乗り心地が良く、明るく開放的で清潔な新型車両の為に、疲労はまるでない。まあ、まだ旅の序盤なのだが、朝自宅を出て7時間が経っているから驚きである。
 ここから先、糸魚川までは2時間近くあるので、昼食として駅弁を購入しておくことにした。しかし、南小谷駅には駅弁を売る店はおろか、立ち食いそば屋もない。駅前に小さな食料品店と食堂があった。食堂は本格的な蕎麦を出しそうな店だったが、大糸西線(勝手に命名)の発車まで時間が無いため、隣りの食料品店でおにぎりとつまみと地酒の(大町だけど)カップ酒を購入。ホームで列車を待つと共にカメラを構えた。



 やがて、やってきた博物館モノとも思える、走る骨董列車に目を疑った。この車両はキハ20系。ではなくパワーアップ版のキハ52系といい、スカ色の1両編成だ。この他、朱一色の国鉄色と朱とクリーム2トーンのタラコ色がリバイバルされているらしい。キハ20系は昭和32年(1957)にキハ17系の後継として製造された一般型気動車のベストセラーで、じつに1072両が製造されたが、現在はこの大糸線と山形・新潟間を結ぶ米坂線しか残されていない。
 あらためて考えると米坂線で一度乗っているのだが、地味なカラーリングで今の今まで気がつかなかった。見るからに疲れそうな列車の車内は立ち客はいないものの、席はほとんど埋まっている。

 南小谷から先は風景が、いや自然が一変する。山塊がひだのように重なり姫川に迫る。平地はほとんど無い。トンネルやスノーシェードが続く。姫川の対岸を走る国道も同様で我が身を写しているようだ。先の水害で一部路線が変更され、旧線の遺構が随所に見られた。町並み以上の郷愁感だ。秘境ともいえる風景に幾度も表れる発電所の巨大建造物に圧巻。発電所の上を列車は走っていく。前回乗った飯田線に匹敵する光景がここにもあったが、いくつもの発電所を通過するわりには、電化される事なく今に続く、この大糸線のやる気のなさはいったい何なのだろうか。災害の復興における”いざこざ”への当てつけであろうか。

 大自然にそれと対峙する人間の築いた巨大建造物に圧倒され続ける中、列車はいつの間にか平野部に入り、12:44に糸魚川駅へと到着した。


 
 
Page1■ 旅の始めは大糸線
page2■ 中央本線・大糸線で本州横断1
Page3■ 北陸本線で富山入り・氷見線に乗る
page4■ 一日の終わりは城端線
page5■ 高山本線で本州横断2
page6■ 篠ノ井線で姨捨駅をめざす
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