5:52富山駅を出発した高山本線(840D)のキハ120系は北陸自動車道の下をくぐり、軽快なステップで礪波平野を駆け抜けていく。まわりは田畑や近郊住宅地で特に見るものは無いが、朝霧を通して差し込む拡散された朝日の幻想的なベールに包まれているため気分は良い。この逆行がうつろな目に良い刺激となった。さあ、これから向かう険しい山間部へ向けてのウォーミングアップだ。
いよいよ正面に山塊がせまってくるあたりで、越中八尾駅に到着する。八尾の町は七つの川と八つの尾根の合流点に形成された水陸交通の要衝であり、早くから市場が立つと共に浄土真宗聞名寺の門前町として発展した。河岸段丘上に形成された町でも知られ「越中おらわ盆」の季節は大勢の観光客で賑わう。越中八尾駅は比較的大きな駅で、ここで最初の列車交換が行われた。
笹津駅のある笹津は古くからの谷口集落で越中と飛騨を結ぶ舟運と陸運の接点として栄えた町。今も昔も山岳部への入口である。しかし笹津には往時を偲ばせる古い町並みは、まるで残されていなかった記憶がある。
神通川と飛騨街道こと国道41号線に沿って飛騨高山を目指す高山本線。細入村の玄関口である楡原駅を過ぎるといよいよ終点猪谷駅に到着した。時間は6:48である。猪谷は山中に開けたターミナル駅だ。かつてはこの駅から、旧国鉄神岡線を引き継いだ第3セクター・神岡鉄道が伸びていたが、時代の波には逆らえず2006年12月をもって廃止されてしまった。三井金属鉱業が筆頭株主で神岡鉱山の鉱物輸送が7割を占めていたが、その役割も終わり、利用客の減少に歯止めが利かなくなったのだ。
この猪谷は古くから越中と飛騨の国境であり、関所も置かれていたらしい。富山からずっと併走していた国道はこの猪谷で2つに別れる。国道41号線は神通川の支流である高原川沿いに神岡経由で数河高原を越えて高山へ至り、現在の幹線道路でかつては越中東街道とも呼ばれた。一方ここから分岐する国道360号線は宮川沿いに勾配の緩やかな渓谷を縫って高山へ向かう。越中西街道と呼ばれたこのルートを高山本線は選ぶ。
この駅での時間の接続は良く10分だ。これを逃すと、JR西日本とJR東海の接続は絶望的になる。その為に早起きをすることになったのだ。せっかくの猪谷駅を撮影するのにはもう少し時間が欲しいところだが、ワガママは言ってられない。さてアイドリングしながら待っているJR東海の(1842D)は国鉄標準型の急行型気動車、キハ40系2両編成。片運転台・片開き扉なので(キハ48)だろうか。アイボリーにオレンジとグリーンの帯を巻いたJR東海カラーである。
6:58猪谷駅を出発。トンネルを潜りぎゅぎゅっと進路を南西に取る。V字の山々が連なるが、勾配も緩く線形もそれほど悪くはない。2004年の水害による復興で橋梁などが新しくなっている。この宮川沿いには伝統的な民家集落が多く見られる。逆を返せば、国道が幹線道路に発展せず、鉄道も山間のこの地に期待されたほど大きな発展を持ち込まなかったと言える。それにしても景色が良い。
角川駅のあたりで併走する国道360号線は西へ進路を変え、天生峠を越えて合掌造りの里・白川郷へ通じるのだが、高山本線に寄り添う国道は147号線に名を変え、やがて飛騨盆地に入ると国道41号線と合流する。小さな城下町・飛騨古川を過ぎると周りの山々は徐々に遠くへ離れていく。
8:02高山駅に到着。ここで接続する普通列車は2時間以上ない。江戸時代の町並みが残る天領飛騨高山は何度も訪れておるので、いまさら散策は考えておらず、なにより今日中に家に着く事が最優先であった為、止むなくベストな接続で待っている特急「ワイドビューひだ」を使用する事にした。 |