一路一会鉄道の旅・鉄路一会>3連休パスで廻る北海道と北奥州
   3連休パスで廻る 
  北海道と北奥州の旅
 
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 北上駅で東北本線に乗換え、花巻までは2駅。花巻13:35発・釜石行きの釜石線への接続時間は、わずか3分しかない。ゆえに、昼食を購入するのはこの北上駅で済ますしか無いのである。北上は新幹線も止まる駅だから普通にキヨスクで駅弁が帰るだろうと思ったが間違いだった。遠く離れた新幹線ホームならいざ知らず、こんな生活路線で駅弁など売っている訳がない。もちろんキヨスクなどもホームにない。改札の外に小さな売店があるだけだった。東北本線の接続時間は10分。ここで悩んでいても仕方がないので、とりあえずその売店へ。
 
 予想以上にガックリだった。品数が少ない事に加え、食事の類はサンドイッチにおにぎりだけときた。駅弁と地酒でほろ酔いの旅情はあきらめ、とりあえずおにぎりと菓子パンを買い、急いでホームへ。
 1番線へ入線してきたのは、バイオレットにパープル帯の701系通勤列車。運転手は女性だった。東北本線はひたすら遠く先まで続く直線を時速90キロから100キロで駆け抜ける。2駅とは言え、駅と駅の間だが長いのだ。新幹線でも1駅の距離である。


 花巻で待っていたのはただの釜石線ではない。「快速はまゆり3号」だったのだ。だから、この乗り継ぎにこだわったのである。釜石線は花巻と釜石をを結ぶ全長90.2キロ路線。
 「快速はまゆり3号」は 車体はキハ110系3両編成で1号車は全席指定席だった。北上線で乗ったキハ100系と同じデザインだが、全長16m、両運転台の100系に対して全長20m急行型車両で、片運型のキハ111・112系の編成から成る。今回乗った車両は、新潟鉄工製(現・新潟トランシス)だった。
 急行車両なので、全席シートテーブル付きのリクライニングシートで、最前面の窓からは前方の景色が一望できる。指定席だが乗客は1人しかいない。ここなら、1回分残りがある指定席権を使っても惜しくはない。検札に来た車掌さんに尋ねると、次ぎの停車駅である新花巻駅でどっと乗り込んでくるらしい。新花巻は東北新幹線の駅であり、花巻や三陸釜石の玄関口である。車掌さんの言うとおり、車内はあっという間に満席となった。

 釜石線の車窓からみる雪景色はどうも完成形には程遠いものだった。猿ヶ石川沿いに広がるわずかな平野部は、見渡す限り水平線の彼方まで暑い雪に覆われているものの、昨日今日降り積もったものでは無いことは表面の光沢から感じ取れる。なによりこの狭い平野部を挟み込むようにそびえる山々が、まるで雪化粧されていないのであ
る。まあ、温暖な太平洋側に近づいているので仕方が無いか、自分に言い聞かせた。列車は無人駅を通過しながら
高度を上げていく。
 この釜石線の沿線で何度も訪れたのが、伝承の里として知られる遠野である。南部藩の特別城下町の面影は無いものの、茅葺き集落の田園風景が数多く残る。もちろん電車で足を踏み入れるのは初めてだ。遠野駅は意外にもレンガ造りで大正レトロな重厚な駅舎だった。遠野の一つ手前の綾織には、城を思わせる石垣をもった巨大な豪農屋敷があり、必見である。

 遠野を過ぎると、いよいよ内陸と三陸を隔てる標高1,000m級の仙人峠へと向かう。ちなみに併走する国道283号線は仙人峠をめざすものの、釜石線はそのはるか南を迂回する。次第に景色に変化が表れてきた。新潟や会津の山間部の如く山肌が白く覆われ初めてきたのだ。トンネルが多くなり、直角に近いカーブで標高を稼ぎながら列車は仙人峠を目指す。遙か谷間の彼方に今走ってきた線路と駅舎が見える。

 釜石線最高点、標高473mの足ヶ瀬駅。足ヶ瀬トンネルと土倉トンネルに挟まれた渓谷に立つ有住駅。なぜにこんな所に駅が、と思うが、ここが釜石東線と釜石西線が最後に結ばれた場所だったそうだ。
 いよいよ土倉トンネルを抜けると三陸圏に入った。今度はひたすら下りである。そして釜石線のクライマックスとも言える、ループトンネルの大ヘアピンカーブを抜け、陸中大橋駅へ。ループ区間は地中だが、対岸の中腹に見上げる線路に、高低差を見る。終点まではあと少し。甲子川の先にに製鉄の町釜石が姿を現してくる。

 10年ぶりに釜石に訪れたが、だいぶその景色が変わっていた。日本の高度成長を支えた鉄の町の活況は、早い時期に終わっていたが、それでも鉄の巨大構造物が数多くあり、近世SF世界の工業都市の様相がまだあった。
  13:40釜石駅の3番線に着くと向かいホームに待つ山田線に乗り換える。今度はキハ100系の2両編成だ。この列車も女の子が運転手かと思ったら進行方向が逆で車掌さんだった。釜石もまたスイッチバック駅である。進行方向には第3セクター三陸鉄道南リアス線が延長する。
 かつての釜石駅は製鉄所の中に設けられているかの錯覚を受けるように、巨大な工場郡に囲まれていたが、現在は周囲に無骨な建造物は無く、駅周辺は広々とし、新しい大型ショッピングセンターなどがあった。




山田線は14:53に釜石を出発した。念願のリアス海岸に沿って車は走る。この時、半分諦めていた雪が降り始めた。しかも強さは増すばかりだ。吉里吉里(きりきり)という名の駅や、波板海岸という駅はサーフボードか?そして本州最東端の駅を名乗る岩手船越。短いトンネルを潜るたびに美しいリアス式の入江が幾度も表れる。

 三陸有数の港町、宮古駅1番線に14:53到着。山田線盛岡行きへの接続には約1時間あるので、宮古市本町の古い町並みを散策する。宮古駅から北へは第3セクター三陸鉄道北リアス線が伸びている。JRと直通運転もしているが、駅舎は完全に分かれている。こんな小さな駅なのに。宮古は盛岡藩の外港として、東北航路の寄港地でもあり、中国への海産物輸出港として栄え、多くの廻船問屋が軒を連ねた港町だった。本町には商家が数軒、町のいたる所には土蔵がいくつも見られた。

 駅にもどると、15:49発・盛岡行き山田線を待つ長い列が出来ていた。ろくに昼食も取らず、小腹が空いてきたので、軽く立ち食いそばでも・・・と思ったが、大急ぎで列に並んだ。見てびっくりのキハ100系の1両編成。結局席に座ることはできず、満員の山田線は宮古駅を後にした。列車は再び海を見ることなく、険しい山間部へと入っていく。
  車内は学生を中心に比較的混んでいたが、ローカル線の中のローカル線として知られる岩泉線の接続駅の茂市までの駅で学生は姿を消した。残り終点の盛岡へまで乗っているのは、大半が観光客か盛岡在住の日帰り客だろう。 女子高生に占領されていた特等の最前部が空くと、子供達が集まってきた。
閉伊川に沿ってジグザグに、ジャングルのブッシュを分け入るように列車は進む。やがて美しく孤独な風景へと変わっていく。急カーブ、トンネルが多くなる。秘境だ。しかも雪深い。

 完全に日が暮れ、盛岡まで2/3を来た。以前から気になっていた、区界駅は名前のごとく分水嶺である。ここを過ぎると盛岡へ向かってひたすら長い下りが始まる。25‰の連続勾配らしい。
 大志田駅は冬季閉鎖されている為通過。浅岸と大志田はかつてはスイッチバックの駅だった。いかにこのあたりが難所だったとわかる。米内川にそって列車は進む。
 次第に民家が増えだし、盛岡市の市街地へと入っていく。北上川に架かる鉄橋を越えると盛岡駅2番線ホームへ到着する。時計の針は18:00ジャスト。旅館「大正館」へ入り。近くの居酒屋で食事をとる。宿に戻ると風呂が沸いていた。ごく普通の一般家庭の風呂である。今日の宿泊客も私一人だったようだ。



 
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