一路一会鉄道の旅・鉄路一会>土日キップで廻る磐越と南奥州の旅

土日キップで廻る   
常磐越と南奥州の旅  

 
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 昨年の「会津・只見線の旅」によって、体の中の「鉄っちゃんの血」が目覚め、今年の冬は早速JR東日本の土日キップを使った「甲信越と羽前の旅」と挙行。さらにそのわずか2週間後には3連休パスを使った、「函館と北奥州の旅」で青森・秋田・岩手のローカル線に揺られてきたのだ。
 そしてまた、その熱が冷め止まぬうちに、いよいよもって「鉄道の旅」に出たくなったのだ。完全に禁断症状にも似たものであり、持病の「乗り潰し?塗り潰し?病」が目覚めてしまった。

 幸いまだ、雪はありそうだ。「雪」が唯一の「鉄熱」を押さえるストッパーとして機能している為に、今年で最後?の締めに、再び土日キップで残されたローカル線を攻めていこうという野望が込み上げてきたのだ。
  今回の路線は福島・山形・新潟の南東北エリアにおける太平洋ー日本海を結ぶ「横断線」が中心になる予定だ。
 中でも最南端のそれは、今年最初の旅で乗った新庄ー酒田間を結ぶ「陸羽西線」の片割れである、「陸羽東線」だ。これを押さえておかないと、歯に詰まった小骨のようにスッキリしない。今回は途中駅からの乗車になるが、全線通しでの完乗の境地までには、幸にも至っていない。
 それ以外の路線としては、山形と仙台という2つの県都を結ぶ「仙山線」、そして米沢ー新潟方面を結ぶ地味ながら隠れた人気を誇る「米坂線」も外せない。それならついでに飯豊山地を挟んだ南側を併走する「磐越西線」も同じく羽越山岳部を走る秘境路線として乗らなければならないだろう。
  「西線」を乗るなら、その片割れの「磐越東線」、同じく福島県は磐城地方の海岸部と内陸部、古来からの区分でいう「浜通り」と「中通り」を斜めの横断する「水郡線」も捨てがたい。特に水郡線の通る地域は、古い町並みや集落を求めて何度も行き来した場所であり、思い入れも大きい。ゆえにそこを列車という、いつもと違う視点で旅してみたくなったのだ。さらに水郡線はJR東日本の新型気動車キハE130系に全交換されており、今日現在この新型ローカル線車両が走るのはこの水郡線だけである。

 問題はこれらの路線を下から攻めるか、上から攻めるか。時刻表と格闘し、いろいろ乗り継ぎを検討した結果、上から下へと攻めることにした。1日目の先陣を切るのは「陸羽東線」である。

雪の影響でダイヤが大幅に乱れているという。

 
 
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 土曜日の早朝、東京駅は22番線ホームで、6:04発盛岡行き「やまびこ41号」に乗る。仙台の次の古川には約2時間後の8:15に到着。普段はまだ寝起きをボーっとして、朝のニュースを眺めいる時間だが、今日に限っては東京から約400キロの場所にいる。
 ここで乗り換える、陸羽東線・新庄行きの接続は9:23で、まだ1時間以上はある。こんな事なら、わざわざ早起きをせず、新幹線を1時間遅らせば良いのではなかったのか、と思う方も多いだろうが、さもあらず。私にとって旅は神聖なものであり、かつ日常とは明確な解離が必要なのだ。ゆえに、その日の朝一には東京を離れなければならないのである。車での旅ならば、いつも前日の夜には東京を離れ、現地のサービスエリアや道の駅で朝を迎えるのである。ドラえもんの「どこでもドア」を擬似的に再現するのだ。

 陸羽東線は宮城県の小牛田駅から山形県の新庄まで、94.1キロを結ぶ東北横断線の一部。東の新庄からは陸羽西線で余目・酒田まで、西の小牛田からは石巻線で女川まで、実に太平洋と日本海をつなぐ東北横断線なのだ。今いる東北新幹線古川駅はは小牛田から3つめの駅である。

 古川駅構内にある物産店で地酒やつまみ、土産を物色。古川は宮城の穀倉地帯だが、駅周辺は人影が無い、商店街もない。新幹線駅設置と便乗して区画整理された駅前に建つ、テナント不明のビルが数棟見える程度だ。それでも古川駅にはマクドナルドやパンの神戸屋が入っており、先ほどから香ばしく甘い焼きたてのパンの香りがあたりに漂っている。
 さて、今回最初に乗る陸羽東線の下りは、大半が鳴子温泉止まりで折り返しとなり、終点の新庄まで全区間を通すものは日に数本しかない。もっとも鈍行新幹線しか止まらない古川から、しばしば遅れる山岳ローカル線の陸羽東線に乗り換えて新庄へ行くよりも、新庄まで山形新幹線つばさ一本を選ぶ利用者が大多数だろう 。


 昨今のJRは各地のローカル線に、さまざまな「愛称」を命名している。おそらく広告代理店の発案ではないかと勘ぐるが、陸羽東線は「奥の細道・ゆけむりライン」と呼ばれている。ちなみに陸羽西線は「奥の細道・最上川ライン」と言います。
 古川の空は晴天で、とてもすがすがしい。とてもダイヤが乱れる要因は考えられないが、山間部は平野部と違ってあなどれない。15分ほど遅れて陸羽東線・新庄行きがやってきた。 2両編成の100系気動車は、一般的なウグイス色ではなく、陸羽西線と共に明るいオリジナルカラーだ。

 先ほど駅周辺を酷評した古川だが、実は大崎地方の中心地で、藩政期には伊達仙台藩の支城として鈴木氏が配置され、奥州街道や羽州・三陸を結ぶ諸街道が交差する交通の要衝であり宿場町でもあった。
 現在古川市は周辺町村と合併して大崎市となっている。列車はその古川市街近郊の住宅地をしばらく走り、大崎郡の酒どころとして知られ、現在も3軒の酒蔵がある中新田の玄関口である西古川駅あたりから広大な田園風景が広がり始める。このあたりでは土蔵やトタンが被せられたかやぶき民家が時々見られる。これほどまでに素朴な田園風景は、この地を何度も訪れていながら、今まで見たことがなかった。

 続いて伊達政宗が幼少期を過ごした岩出山と伊達家が設立した日本最古の学問所と言われる有備館に、岩出山の地酒を醸す森泉酒造店の町並みで知られる有備館駅。黒く塗られた木造構えのデザイナーズ建築の駅舎で、おそらくこの路線で一番立派な駅舎ではないかと思われる。

 列車は江合川に沿って山塊を目指す。川も道もやわらかな曲線を描く素朴な原風景。今度は荒雄川に沿って徐々に高度をかせぎながら山間部へと入っていく。最初の山を越えるとやがてさびれた温泉街の川渡温泉。このあたりでようやく雪がちらほらと見えてくる。冬の季節こそ温泉地は賑わいそうなものだが、車窓から見える川渡温泉は駐車場はガラガラで人影も見えない。ホテルや旅館には明かりが無い。
 続いて、東北地方最大の温泉地として知られる鳴子温泉駅は、さすがに陸羽東線の目玉であり、2面3線のホームを持ち、駅舎にはホールが併設されている。また、陸羽東線の大半にとっては終点駅でもある。
 鳴子温泉は羽後街道沿い位置していた為に古くから賑わい、”こけし”の町としても知られている。

 鳴子温泉に隣接する景勝地の鳴子峡はトンネルでパスしてしまう。中山平温泉駅(元・中山平)を過ぎると、奥羽山脈を越えて山形県に入った。その後も標高350mの中山峠をめざして、列車は山腹を走る。集落や国道がはるか眼下に遠ざかっていく。

 ここまで順調に来たが、峠を目前に強風のため列車は徐行運転を余儀なくされる。昨年起こった羽越本線の特急「いなほ」脱線事故以来、JR東日本はかなり慎重になっていると、前回行った旅の途中で小耳に挟んだのだが、それはそれで良いことながらも、次の接続による今日の旅程の狂いが無性に心配になる。
 前回の陸羽西線の旅程では山形新幹線の5分程度の遅を、接続する陸羽西線は待っていてくれたのだが、 今回は20分近く送れるもようだ。回復運転でどうにかなるレベルではない。古川駅で上り列車のダイヤが乱れていたのはこの為か。

 列車は時速20kmでゆっくり、ゆっくりと山の急勾配を登っていく。空はどんより厚い雲に覆われ、小雨か風で飛ばされた地吹雪が視界を悪くする。こういった風景は大歓迎なのだが、今は次の列車の接続とその後のスケジュールの修正で頭がいっぱいだ。もう少し心にゆとりを持った旅をしたいが、今はそのときではない。

 古川を出たときから思っていたのが、それにしても、この列車はひどく窓が汚い。車窓の風景も旅情も台無しである。この路線の最高地点の山中峠はトンネルではなく、そのまま山頂を通過する。峠の駅・堺田。名前の通り、境界の駅であり、ここが日本海と太平洋の分水領である、らしい。
  ようやく山の反対側に出てから、強風も収まったか徐行運転解除指令が。列車はまっていたとばかりに、時速80キロで山を駆け下っていく。峠を下った最初の駅が、赤倉温泉の玄関口である赤倉温泉駅。以前は羽前赤倉駅だった、最近ローカル線では、その駅・その地域の観光資源が一目で分かるような駅名に改称する例が多い。
磐越東線は奥の細道ゆけむりラインの愛称と合わせ、温泉を加えた駅名への改称が多く見られる。




 降雪は終わっているものの、見渡す限りの雪景色。蛇行する小国川が美しい。最上町の中心地である最上駅は以前は羽前向町という名だった。併走する国道47号線は1度だけ走った事がある。列車は平野部を猛スピードで走りながら回復運転を行い、3分の遅れに縮めて新庄駅に到着した。

 しかし、上りの新幹線つばさの姿はそこにない。さすがは新幹線、前回下りコースで到着が遅れた新幹線の接続を待っていたローカル線(陸羽西線)と違い情け容赦ない。
  が、よく見ると新幹線ホームには長蛇の列。おいおい、山形までは40分近くあるのに、立席は勘弁だよと思い、ホームを移動すると。なんと新幹線も大幅にダイヤが乱れている事が判明した。喜んで良いやら悪いやら。 現時点で30分の遅れだという。うお〜今日の旅程が・・・。まあ、いつもよりも大まかにスケジュールを組んでいる為、そこまで悲観する必要はないのだが。
  今朝の古川ではポカポカ陽気だったが、さすがに豪雪地帯の新庄は寒かった。
少しづつ、山形新幹線「つばめ」の遅れの理由が明らかになっていく。どうやら、福島ー山形県境の粟子峠で雪崩のためにつばさが1本運休したらしく、その影響でダイヤが大幅に乱れているらしいのだ。

  ようやく「つばさ」が到着してきた。車内清掃と折り返し準備の為に、まだまだ待たされる。それでもドアが開き、乗客を乗せると「つばさ」はあわただしく新庄を後にした。
 ローカル線で揺られてきた体に新幹線は極めて静かで快適であった。白銀が太陽に照らされて目に打ち付ける。

 

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