一路一会鉄道の旅・鉄路一会>土日キップで廻る常磐越と南奥州の旅
土日キップで廻る   
常磐越と南奥州の旅    
 
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 昨晩、新潟駅を出た「ムーンライトえちご」は、まだ日が昇らない早朝の5:10に新宿駅に着いた。前回の経験により、今回はちゃんと安眠グッズを容易していたので爆粋してしまった。ガラガラだった前回とは違い、今回は満席状態。中途半端な時間にたたき起こされ、頭がまだボーとしている状態で、山手線ホームをめざす。
 新宿駅は、まだ5時台だというのに、昼間並みの混雑ぶりだった。おそらく始発特急で旅立つスキー客か、深夜高速バスで着いた人たちが家路につくのだろう。
 朝の上野駅は、新宿駅とは対象的に朝らしい閑散ぶりだった。
 磐線特急の始発は「スーパーひたち3号」は7:00発。まだ1時間以上ある。時間を30分遅らせて653系「フレッシュひたち」にしようか悩んだが、やはり30分のロスと(とはいっても水戸駅での接続は1時間あるので、どちらでも同じではあるが)とりあえず、今回は上位車両の651系に決めた。JR東日本が発足して、最初に設計・新造された特急車両らしい。

 上野駅の特急乗り場はかつての終点駅らしい頭端形ホームで、在来線ホームが鉄骨で2階にかさ上げされている
無骨さと合わせ、長い歴史が刻まれた回廊は、まるでヨーロッパの駅を思わせる。
  今回はまだ指定席権が3個も余っているので、列車入線から席取りダッシュをせずに、余裕をもって写真を撮ろうと思い、特急乗り場の目の前にある「緑の窓口」で指定席を買うことにした。が、これが大失敗。上野―水戸間は海に出ないため、窓席はどちらでもよかったのだが、653系は大型窓を2席で共有するため、下りであれば奇数席・上りであれば偶数席を選択すれば、進行方向に対してパノラマ感が得られるのである。せっかく指定席を取ったのに、いまさら自由席に移動するのも他の乗客に迷惑になるし、検札の時に説明が面倒だ。
 まあ、1時間の旅程で、おそらく寝てしまうから今回は授業料としてこのままでいくことにした。
 
 スーパーひたち3号は上野駅を出ると、大きくUの時に周回して茨城をめざす。利根川を越えると田園風景へと変わっていく。常総平野には、暴風林や長屋門を構えた農家の屋敷が多く見られる。これらは特に茨城の農村部に見られる特徴である。
 水戸街道の宿場町にして、土屋家9万5000石の城下町であった土浦、古代常陸国の国府が置かれた石岡と、霞ヶ浦水運の湊だった高浜で霞ヶ浦に別れをつげて北上し、友部まで来ると水戸まであとわずかだ。
 また、この区間には茨城を代表する酒蔵が集まっている。友部は私が車の教習を受けた場所で、懐かしさが込み上げてきた。



 スーパーひたちは水戸駅の4番線に入る。今回の目玉水郡線は1番線にとまっていた。ステンレス製の新型気動車。ちなみにキハE130系は両面運転台の1両での使用。キハE131系と132系からなる2両編成とはカラーリングが少し違う。

 水戸は茨城県の県都である、江戸時代は徳川御三家の一つ、水戸徳川家35万石の城下町であった事は、もはや説明は不用だろう。水郡線の発車までここで1時間以上あるが、駅前周辺に見るような町並みは残されていなかったが、北口の駅前には石垣が残っていた。待つ場所をホームに移すと、今回乗車を見送った、653系「フレッシュひたち」が何本も頻繁に行き来するではないか。特急「フレッシュひたち」は終点駅ごとにカラーリングが違う。
 途中駅までは連結して運行されるため、異なるカラーの車両が組み合わされ、ほとんどの編成を写真に収める事ができた。夢中にシャッターを切っていたので、あっという間に時間が経っていた。

 水郡線は水戸と郡山のふたつの地方都市を結ぶ山岳ローカル線だが、それぞれの都市部在住の通勤通学客が主な利用者な為に、それぞれのベッドタウン区間を往復する運行が大部分を占め、水戸〜郡山間を全線を通して走る本数は1日6本程度しかない。特に水戸側では支線であるの常陸太田行きの利用者がトップであり、このドル箱支線の方の運行本数が本線を凌ぐのである。

 今回乗車したのは、新潟トランシス製2007年モデル。ステンレスでローカル線というよりも通勤列車タイプだが、東北で苦しみられた701系よりも真面目に造られている。なによりセミクロスシートだ。
 小海線に搭乗した初のハイブリッド列車キハE200系も同じデザインだが、ドアの形状は細部が違う。コストダウンが目的なので、首都圏で更新が進む新型のE231系列車の設計をベースにしており、ワイドボディーに裾搾りのデザインが地方線には似合っている気がする。

 9:23発郡山行きは、青系が2両編成と赤系の単両編成が連結した3両編成で出発し、途中の大子駅で切り離す。
水郡線は奥久慈・あぶくま山系の渓谷部を縫うように斜めに横断する。縦断すると言った方が正しいか?
全線147キロで、駅数は45。これを約3時間かけて走るのだ。
 車内は80%近い乗車率だ。これらの乗客がどこまで行くかは分からないが、郡山まで行くのはおそらくほとんどいないだろ。見るからに鉄っちゃんの方に相席をお願いして、かろうじてクロスシートに。出発間際にどっと乗り込んできた人の多くが山歩きの格好をしているので、ほぼ途中の山間部で降りるものと思われる。

 水戸駅を出発した列車は常磐線と少し並走して、大きく西へカーブする。都市近郊の風景は2駅ほどで終わり、閑散とした半農半住宅地の田園風景へと変わる。それもやがて、完全な農村地帯になったかと思いきや、また住宅地が登場し、1時間以内は水戸のベッドタウン風景が続くだろう。上菅谷は常陸太田行きの分岐駅だが、あちらの方が事実上の本線みたいなものだ。

 常陸大宮駅が山間部に入る前の最後の町。玉川村を過ぎると次第に奥久慈連山へと分け入っていく。久慈川が並行する。山方宿は棚倉街道の宿場町を偲ばせる街道沿いの町並みであるが、古い家並みは無い。町はずれに茅葺きの民家があった。
  奥久慈有数の観光地、袋田の滝や大子温泉など奥久慈県立自然公園の玄関口である常陸大子駅。この駅で車両切り離しのため、5分間停車する。乗客の大半はこの駅で降りたが、切り離し作業の見学者が集まっている。
 常陸大子は山の中にある水郡線の車両基地でもある。ローカル秘境ムードなのに、基地に並ぶE130系のステンレス車両が秘密基地のように不思議な光景だ。

 11:42大子駅を出発。蛇行する久慈川と奥久慈の渓谷風景。なんども車で通った風景を鉄道から見る。下野宮を過ぎると矢祭山を越えてで福島県へ入る。数々の村政で物議をかます山間の小さな町、矢祭町の玄関口である東館駅で少し停車。
 枯れ草色の盆地が広がる。キハE130系の大型窓は運転席とドア以外すべてにUVカットおよび熱線カットの為にわずかにグリーン色が入っている。これにより山吹色のはずの田園風景が鶯色調に緑がかって見える。映画「砂の惑星」のようだ。さて、いよいよ盆地から平野部につながるかと思いきや、列車は再び山塊に飛び込んでいく。
 車窓からはかやぶき民家や土蔵などの僻地集落が見えるが、奥久慈や福島の山間部には、いまだに多く残されている。
 少し町が開けてくると、阿部家棚倉藩10万石の城下町磐城棚倉。陣屋町にして宿場町でもあった磐城浅川など過去に訪れた町を通過していく。いよいよ阿武隈川を超え、安積永盛(あさかながもり)で東北本線に合流する。

 ちなみに、水郡線は路線名が示すように、水戸ー郡山を結ぶが、正式な区間は郡山手前の東北本線と分岐する安積永盛駅間である。



 
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