一路一会鉄道の旅・鉄路一会>土日キップで廻る常磐越と南奥州の旅
   土日キップで廻る   
   常磐越と南奥州の旅  
 
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 将棋の町・天童、そしてこの後に乗る仙山線が分岐する北山形を過ぎると、山形駅到着の車内放送が流れる。
やがて霞城の名で知られる山形城の堀と櫓門が視界を一瞬横切る。

  山形城はこの地を拠点とした最上氏57万石の城下町として基礎が造られるのだが、後継者を巡るお家騒動で最上氏は改易、続いて鳥居氏24万石、保科松平氏20万石など、幕臣の有力大名が入封するものの、それ以降の幕末までは、幕府の中央で執政に携わりながらも、失脚した幕閣の左遷地の意味が強くなっていった。歴代藩主は度々入れ替わり、その都度石高は減少。最後の藩主は「天保の改革」で失脚した老中水野氏5万石で幕を閉じた。

 霞城(霞ヶ城)は、国内で5本の指に入る広さを誇ったと言われていたが、歴代藩主ごとに、その石高が減少した結果、城の維持が困難になり、城内は更地や、田畑に姿を変える程までに荒れ果てたそうである。
 明治に入り、城を山形市が購入して、陸軍を誘致し、歩兵三十二連隊が駐屯した。二の丸の外側は市街地化が進み、堀の真横を線路が走る今に至るのである。昭和61年に国の史跡に指定され、大手門や本丸、橋などの復元がはじまり、東北有数の城址公園へと「再生」されていったのだ。

 山形駅のホームへ降りると、米沢牛弁当の売り子のかけ声が出迎える。当初、仙山線への乗り換えにはこの山形で40分近く待つはずだったが、「つばさ」のダイヤの遅れで、10分ほどのジャストな接続となった 。

 ホームの対岸で待っていた仙山線は新型のE721系ステンレス車両で正面のデザインも凝った造りである。東北各地に配備された、同じ通勤車両の701系のやる気の無いデザインよりも、数段優れているが、やはり701系への相当な批判があったのか。E721のデザインは近郊列車スタイルの拡幅車体・裾絞り構造が効いているかもしれない。また、なによりもセミクロスシートであったのが、救いだ。

 山形と仙台という2つの県都間58キロを結ぶ仙山線は、地図で俯瞰すると山岳ローカル線のようだが、実際は近郊通勤列車の性格が強く、全線にわたり電化されている。と、いうよりもこの仙山線は日本で最初に交流電化が実験された路線でもあったのだ。

 向かいのホームには左沢線のキハ100系気動車が止まっている。散々乗った車両だが、どこか新鮮に感じるのは左沢線専用のブルーとホワイトのカラーリングであろうか。陸羽東西線も同じく、山形県内のキハ100系だけは、なぜかオリジナルカラーが施されているようだ。
 
 12:41定刻どおり仙山線「快速」は山形駅を出発した。しばらく奥羽本線と並走して、羽前千歳駅で標準軌の山形新幹線・奥羽本線を平面クロスし、右へ大きく曲がっていく。車内は満員である。山形駅で購入した「牛肉弁当」をボックス席の隅でかきこんだ。

 山寺で行き違いのため停車。松尾芭蕉が奥の細道で読んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句の寺として知られる、奇岩怪石の霊山・山寺は正式には宝珠山立石寺という。奥の院までの1,000段の階段が名勝でもある。

 なかなか下り列車がやってこない。4分遅れだという。今度の原因は何なのだ。山寺を出ると、仙山線は33‰の勾配をのぼり、奥羽山脈を貫く面白山トンネル(仙山トンネルが正式名なのだが)で宮城県に入る。面白山トンネルは延べ50万人を投入し、わずか2年で開通した記録を持つ、古い歴史のトンネルだが。蛍光灯照明で近代的な造りである。大規模な改修がされたのか、新線が掘られたのかは分からないが、そのトンネルを時速20kmのスローペースで通過する。本来はここで、最高速を出すはずなのだが、トンネルの先で何が起こっているのか?下り列車の遅れと共に気になってします。

 快速が通過する駅はみな登山客以外利用しないような集落もなにもない辺鄙なところにある。渓谷沿いを走る車窓からは急流や滝が多い。とにかく勾配を稼ぐために、うねる、うねる。
 仙山線の沿線で知る地名は作並温泉くらいだが、駅名は「作並」だけ。さすがに通勤通学客が中心の幹線であるために、他のローカル線のように駅名に「温泉」の文字は入れないのか。 
 やがて、車窓はあっという間に仙台の近郊住宅地・市街化地域に変わる。この短い路線で山岳部を走る近郊列車と通勤電車の2つの顔をもつユニークな路線だった。

 仙台駅では14:13発東京行きの「やまびこ216号」に乗り、1駅先の福島まで。贅沢な新幹線の使い方だ。
本来は東北本線を使うべきかも知れないが、時間短縮のために、青春18切符では不可能な新幹線を使用する。 なによりも701系通勤車両に乗る気が起きない。

  福島に着くと、今度は下り新庄行きのの山形新幹線つばさ183号に乗るために、ホームを大急ぎで移動する。しかし何かおかしい。電光掲示板に表示される番号が違うのだ。今朝のダイヤの乱れのを思い出した。つばさが1本運休した余波が、まだ続いているのだ。福島に入線してきたつばさの自由席は満席。客席に入りきれない人だかりが、出入り口や連結部分まで寿司詰め状態。車窓どころではない、目の前には人の後頭部だけである。
 信じられない40分立ちである。ドアの車窓から見える雪景色とは対象に、車内は蒸し暑く、汗がにじみ出る。今回は、前回発搭乗で見逃した板谷峠前後のスイッチバックや秘密基地か防空壕のようなスノーシェード駅を見るつもりだったのに・・・・。 完全な玉砕である。

 ぐるりと1周して、山形新幹線で再び山形県に戻ってきた。つばさは米沢駅の1番線に到着。0番線には米坂線が停まっている。カラーリングが違う車両が2両連結したキハ52系だったが、他にはキハ40系や48系も待機線にとまっている。地味な路線だと思ったが、車両がそれを物語っている。

 米沢は上杉家15万石の城下町として、県都の山形よりも知名度や人気がある町ではないかと思う。有名な酒蔵も数軒あるほか、茅葺き民家の下級武家屋敷町である芳泉町など、訪れた回数はかなり多い。 

 日が落ち始める16:08に米坂線は出発する。それまで、まだ1時間近くある。ぶらぶらして列車に戻ると、ビックスシートが埋まってしまった。意外に利用客は多い。最前列の2人がけのロングシートからは運転席ごしの車窓が見えるので、気を取り直して、ここを陣取る。

 旧式のディーゼル車らしいエンジン音をうなりをあげ、キハ52-120番台は走り始めた。加速は意外にも力強いが、揺れる揺れる。突き上げる。車体はキシミ、おまけに隙間から侵入してくるのか、廃ガスくさい。車体のあちらこちらから多種多様な音がリズムを奏でる。

  米坂線は米沢市街を環状線のように周回していく。西米沢までは市街地で、鬼面川を渡ると米沢盆地が見て取れる水田地帯を走り抜ける。乗客の大半は米沢市内で降りていった。4軒の酒蔵がある羽前小松は伊達氏の支城として原田氏が支配した城下町で、越後街道の宿場町でもあり、英国人地理学者イサベラ・ハード女史は「日本奥地紀行」の中でこの地をアジアのアルカディア(桃源郷)と賞賛した町だ。

 山形鉄道フラワー長井線が乗り入れる今泉駅。山形鉄道はしばらく米坂線と線路を共用し、やがて分離地点を頂点に、今度は逆Uの字に南下を始める。羽前椿を過ぎるといよいよ、秘境の山岳ルートへと入っていく。
 宇津峠をトンネルで抜けると、山間の工場地帯である小国町。越後街道の宿場町であった小国町は、水運とも接続する要衝だったが、豊富な水にも恵まれ、さらに水力発電による豊富な電力によって、工場の進出が相次いだそうだ。

 景勝地・赤芝峡を過ぎると、いつのまにか新潟県に入っている。蛇行する荒川を何度も跨いで、右岸・左岸を行き来して、秘境ムードは満点。だいぶ日が長くなった。走り出して2時間。18:00を回っても山々の稜線はくっきりと見え、青く染まった景色が流れていく。
  やがて越後・出羽国境の関所が置かれ、豪商の屋敷が軒を連ねる越後下関もなつかしい町だ。日本海まであと一息だが、海には出ずに羽越本線の坂駅に合流する。

坂 町に着くと、羽越本線の特急「いなほ14号」で体を休めながら新潟まで直行のはずが、これまた吹雪きの影響により70分の遅れ。白新線の115系4両編成の各駅停車が早く接続するので、それに揺られながら、約1時間の遅れで新潟駅に20:00に着いた。

 ここで、1つの決断を迫られる。ホテルに1泊して始発の磐越西線で郡山を目指すか、定例のムーンライトえちごで東京からやりなおし、ムーンライトえちごが入線する23:30までの3時間半を居酒屋か料理屋で過ごして、今日1日目を締めくくるか。もともと新潟に泊まる予定はなかったので格安宿の情報をまるで調べてこなかった。 飲む居酒屋・料理屋と合わせ駅前のホテルをぐるりとロケハンしてみるが、だいたい4,000円から5,000円の宿泊料だ。居酒屋1回分の金額である。とりあえず、本日のムーンライトが取れなければ宿泊を決断しようと緑の窓口に足を運んだ。 
 結果として取れてしまった。ちょうどキャンセルがあったようで、しかも窓際。よって、出発直前まで居酒屋で飲むことにした。 財布と相談しながら、それでも地元の海の幸を中心とした居酒屋というようりも小料理屋を探すが、数軒は満席で断られ、数軒は金額がちょっと心配な店。しかたなく、駅前ビルの居酒屋チェーンで飲むことにした。ほろ酔いで、ホームのベンチに座る。目の前には、前回同様に夜行急行「きたぐに」が停車していた。




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